オーディオをつまらなく するのはオーディオ批評家だ
 久々にオーディオのことを記載するのだけど、こいつがどの程度進んでいるのかという、ある種の期 待などが沸いてくる感じになる。というのも、僕がオーディオの世界から少しばかり抜け出て数年が経過しているためと、その当時のことがいまだに頭の中から 消えないでいるため、おそらく、僕の考え方は相当に固着してしまっているのだろうな、と考えたからに他ならない。
 2002年12月も押し迫った頃、宇和島で恒例のディスクマーケットが開催された。ついぞ、なかなかのものがある、と昨年までは感じていたのだが、今回 は全く出物がなかった。特にアナログディスクは相当に数が少なく、廉価であるべき物が想像以上に高いから、おいそれと手が出ない。僕自身は名古屋のライム ハウスへ発注していた物があったため、そんなには出費をしなかった。
 もう一点は昨今のアナログディスクブームだ。このことは後述するが、悪いのは、購入者がディスクのことをよく理解していない。このことも購入に際して躊 躇することに拍車をかけていたのではないだろうか。おまけに、売る側はアナログディスクの何たるかを説明する必要はないように考えているようでもあった。
 レコード関係としての一例としてディスクマーケットのことを出したが、アナログディスクを葬り去ったことに救いの手を出さなかった輩が盛んに「ア ナログディスクを再生する方法はこうなんです」といった格好で雑誌などに記事を掲載する。そんなのには僕は「アホかいな」と相手にしないが、こう しなければならない的な表現だから解らない者、これからアナログレコードを楽しみたい方には謹賀玉状のこととして受け入れようとする。それにコンポーネン トの信じられないような金額が上乗せされる。
 ここまでなら、お金と性能などが一致するようなものだから許せるが、各々のコンポーネントを結ぶコードにべらぼうな金額の値札を掲げているものがある。 そこをですね、数値を全面に出さず、聴感上「目から鱗」のような書き方をするものだから余計に始末が悪い。ちなみに、スピーカーケーブル1本に数万円、 1m当たり数千円の出費をいとわないような書き方をする輩が、ハイ評論家です、とほざくのだから。
 手作り関係のオーディオ雑誌にしても「まだ、こんなことを実験しているのですか」といいたくなるようなことを平然と行って紙面を埋めているものがある。 はっきり言って10年以上前のことを行っているに過ぎない。さすがにK先生のブチルゴムでちくわのように巻いたコードの化け物などは一切でなくなったが。
 こんなことやってるよりは、江川先生とか、もっと以前の山崎先生のように改善目的で行うべきだ。出来上がっているものを壊して性能云々は実験に過ぎな い。特に山崎先生など、クリニック的にリスナーのお宅に数日通って結果を出す。その大半が共鳴、共振を止め、補強する。残りはリスナーの好みに適合するよ うに、当時のことだからカートリッジを交換したり、という結果で纏めるのだけど、今のオーディオ関係雑誌はそういったものが全くなくなった。
 オーディオが好きという輩の中には、根本のスピーカーから出てくる、FMのアナウンスの音、オーケストラ、ロックバンド、歌舞伎、スポーツ中継、レコー ドからの音など数多の音をよりよい方向に持っていき楽しむことが最大の目標であると思う。
 コンポーネントとしても、オーディオの中心的存在のスピーカーシステムに百万ほどつぎ込んで製品を購入し、そいつを聞いて、本当にいい音が聞こえ るかどうか。難しい表現だが、「いい音が聞ける」というのではない。解りよく言えば「出てくる音がリスナーの心を揺さぶるか どうか」ということにある。そこには多くのリスナーに同じ思いをさせようと、一人のリスナーの満足だけでも同じことだ。一人のリスナーが満足すれ ば、大半の方は満足するはずだから。
 仮にスピーカーコードを変更したぐらいで、音が大きく変化するようなスピーカーシステムは僕としては願い下げをする。同様に駆動するアンプもそれぐらい の変化で調整を余儀なくされるようではダメというものだ。
 ましてや、配線材がとか、ハンダの成分が、などと言われること自体、やればやるほどあほくさくなってくる。
 本来は、レコードの中に入っているもの(ソース)を十分に拾い上げ、増幅し、いい音でリスナーを楽しめるように努力する。これこそが楽しみでもあり、苦 しみでもあるし、なかなか興味のある世界(オーディオ)なのである。
 日記にも記載したように、山本氏が製作されたシステムのようなものを聞かない限り、これだけ音が氾濫している今の世の中、自然の音など解るわけがない。

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